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2008年10月21日 (火)

誕生から幼稚園入園前まで

 1954(昭和29)年11月15日(月曜日)、父・澄意(すみい)は1927(昭和2)年4月14日生まれで27歳。母・美代子は1928(昭和3)年10月23日生まれで26歳。この間に、岩手県盛岡市大通りの高橋産婦人科で、長男として生を受ける。名前を決めるに当たっては、川村先生と言う父の同僚、盲目の箏曲家・作曲家、宮城道雄の愛(まな)弟子に当たる方に相談し、芳弘と命名された。

 父は、福島県会津若松市の農家の出身。岩手県立盛岡盲学校の高等部の理療科教師。盲人の為、農業を継げないかわりに、学校だけはださせてくれと、東京教育大学卒業で、最初で最後の赴任先が盛岡である。母は当時植民地であった台湾で生まれた。母方の祖父は警察関係だったという事である。育ちが東京の下町で、やけにこだわっていた。学歴は無く、自学自習した人であった。1945年3月10日の東京大空襲で福島へ疎開し、会津若松で図書館の手伝いをしていたようだ。材木商の方の紹介で見合いをし、結婚に至った。

 新婚の住まいは盛岡市上田の某写真館の二階にあった。父の学校へ近い所だったからである。なんでも、はいはいをしている時分、階段を転げ落ち、下で炊いていた七輪にかけてあったもので、おしめをしていた大事な所を火傷したそうである。大きくなるまで、母は、自分の責任だと思っていたようだ。ラジオが唯一の楽しみであったらしく、ラジオの前で父母に抱かれた写真があった。当時は写真館で記念写真を撮ってもらうのがたまにあった。

 実は後になって、自分の写っている写真は総て破棄した。反抗期のことである。

 妹が生まれたのは、私が3歳と9ヶ月の時である。市立病院で生まれたのであるが、覚えは無い。名前は悦子である。妹が出来る前、一家は盛岡市内加賀野(かがの・または加賀野久保田)の一軒家を半分づつ使うと言うおかしな借家に引越した。隣は新聞記者だったらしい。一つ上の男の子が居たが、遊んだ記憶はない。

 妹が生まれる前後、母方の祖母が家へやってきた。この人は若い頃にはかの幸田露伴の下で働いていたと言う事である。東京の出身で、気風が母にそっくりであった。その祖母が見ている前で、針仕事をしていた母の裁縫箱を踏み抜いたことがあった。祖母が母を叱っているのを何故か記憶している。

 父が学校までバスで通うことになったのだけは鮮明に覚えている。なぜなら、物心ついたときから、父の送迎に手を引いていたからである。銭湯もバス停の近所だった。間違っているかもしれないが文化橋という橋の向こう側にあった。

 新春、あるいは豆まきの頃か、秋田のなまはげにならって、我が家にも鬼がやって来た。幼い私は泣き出したのを覚えている。

 夏は、中津川へ涼みに行った。その中津川の上流に牛乳工場があって、白い物がながれていた。また、蚊帳を張って寝ていたものである。

 秋、といっても東北の秋は早い。隣の大家さんの庭に、丹精して育てた菊の花が咲いた。それを花ばかりもぎ取ってしまった事があったようだ。これも母親が平身低頭、謝りに行ったそうだ。大家さんはおおらかに許容してくれたのだったが。

 東北の冬はきつい。私は父親と一緒に寝ていた。私が暖かったからだろうか。小学生の初めまで冬はそうしていた。

 父からは、私は数々の名前で呼ばれた。「ぼう」「じゅ」「じゅぼろ」…今はこれ位しか出てこないが、当時数えた時には、20種類程あったらしい。そんな父だが、私が生まれた時には、自分の子ではないと母に語ったと言う事である。詳細は不明だ。

 向かいの女の子ばかりの姉妹のところでよく遊んだらしい。後から付け加わった記憶だろうが、グリコのおまけを貰ったように記憶している。その家ではグリコを開けるとき、袋を破らずに箱を取り出してはまた元のように袋に入れていたので、私が貰ってきた時には、新品同様だったので、母がお礼に行った。大変恐縮してである。

 以下の曲は、当時ラジオで聞いていた。NHKの『ヤン坊ニン坊トン坊』である。アップロードする曲は実は父の遺品のなかの一枚のCDからである。著作権に抵触するのだろうが、プロバイダーから意見でも頂戴しない限り、載せ続けていく。

      

 

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コメント

(o^-^o)suncancer

 初めてコメントします。何故だか、初めに試みたときは、絵文字などは入力できましたが、テキスト文字が入力できませんでした。従って、これが2回目のコメントです。JoeさんからのコメントにあるURLはリンクしていませんでした。では、また宜しく。

閒是寶様
 早速のコメント有り難う御座います。
 どこまで書けるか分かりませんが、出来る限り頑張ってみたいと思っております。
 ココログは複雑ですので、一番シンプルなデザインにして、「自分史」に徹したいと考えています。
 目標は80ページ分になるまで書いて、出版してみたいです。どの位の量で、80ページになるか分かりませんが。まずは80回書こうと考えています。
 では失礼致します。

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